スカイラインに囚われて

スカイラインに囚われて

『スカイライン -征服-』(原題: Skyline)とは、2010年のアメリカ合衆国のSF映画です。ストーリーとしては、親友テリーの誕生日パーティに参加するため、ロサンゼルスに来ていたジャロッドとエレインは、早朝に仲間の一人レイが青白い光の中に吸い込まれるという異常事態に出くわします。窓の外には、巨大な未確認飛行物体が大量に飛来し、地上から人間を次々と吸い上げていく光景が広がっていました。ここから、エイリアンによる地球征服の3日間が始まります。

上映の個人的または客観的に観た感想なども含めご紹介させて頂きます。またこの先にはネタバレが多いですので、本作品にご興味ある方は、ご遠慮頂ければと思います。

本作には、一般的に傑作とされる映画において、大きな割合を占める「物語」の要素が、ほとんど存在しません。舞台は、主人公たちのいるマンションに限定されており、地球外生命体が人間を襲う理由も明かされず、助かる根拠もないまま「海に逃げよう!」などと支離滅裂なことを言い出すキャラクターが、一人また一人と死んでいく、その様を描いているのみです。

電話が通じず、ニュース番組も映らないので、状況の俯瞰図が示されず、観客は作中の登場人物と、その混迷ぶりだけを共有したまま、最初から最後まで、ストーリー性の乏しいカタストロフの中に取り残されることになります。これを説明の放棄だと批判する向きがあるのも理解できなくはないのですが、瑣末な理由なんぞなくても、最低限の状況設定とキャラクター配置のみで、映画は映画として成立するのだ、という真理は、同種の宇宙生命体による世界的な虐殺劇を「家族」という最小単位の視点から描き出した、スピルバーグの『宇宙戦争』が既に証明済みです。元々『ジョーズ』でホオジロザメが人間を襲ってくるのは「人を喰うから」で、誰もが納得するところでもありますし、地震や津波といった自然の脅威を扱うディザスター・ムービーで、その原因を地殻変動のメカニズムまで遡って説明してもらわなければ、納得できない!などと言い出す方には、今までお目にかかったがありません。これは結局のところ、観客が何処まで合理的な解釈を与えてもらえれば、荒唐無稽なお話の面白さに自分から乗っていけるかという問題で、突発的に発生する自然災害の理由を知ったところで、それが映画を楽しむ上で、何ら関係がないことを観る側が理解しているからだと思います。

宇宙人が地球を襲ってくる理由も「人を喰うから」で良いではないか!と思うのですが、相手が生物となると、途端にその行動原理を知ろうとしてしまうのは、知的生命体の性というものなんであろうかという疑問が生じます。人間とは、根本的に異なる存在であるエイリアンの行動に、誰もが納得できる合理的な動機を与えてしまった時点で、その不条理性は失われ、かえって恐怖感を損なう原因になってしまうと思うのですが、このテの映画に「理由の提示がない」と批判を繰り返している方々だって、宇宙人が何かとてつもなく凄い形而上学的な理由に基づいて、地球を侵略してくる展開を期待していたわけではありません。ともかく一切の説明が存在しないせいで、映画としてのカタルシスまで損なわれてしまった、というのなら、誰でも文句の一つでも言ってやろう!と息巻いたと思いますが、調子に乗っていたリア充(リアル(現実)の生活が充実している人物)どもが、大した理由もなくバカスカに殺されていく、という本作の単純明快な構造は、その点をキチンと実現できており、なんだかんだで楽しませてもらった、というのが正直な印象かもしれませんし、「背景描写や理由の提示がなければ、お話にリアリティが生まれない」という批判に対しては、そもそも映画における「リアリティ」とか「現実味」と言うのは、問題からかけ離れている気がします。それじゃ、映像表現におけるリアリティとは何?と言われたら、これはもう単純に作中で展開される「絵」そのものではないでしょうか。どんなにリアルに見える作品だって、物語のプロセスで現実からの飛躍があるのですから、映画として成立しているのであり、そこには如何したとしても、何らかの「嘘」が存在することになるかと思います。

身も蓋もないことを言ってしまえば、映画にしろ漫画にしろ、ホラ話なんてものは、この「嘘」を「嘘」だと感じさせなければ勝ちなのだと思います。人間が空を飛ぼうが、銃弾を受け止めようが、絵ヅラさえシッカリしてれば、文句を言う方はあまりいないワケで、結局のところ、アクションが物理法則を無視してようが、キャラクターが心理学的に矛盾した行動を取ってようが、そこを「絵」の力で「この話の中では、こういうものなんだな」と、観る者に納得させてしまうのが、映像表現における「リアリティ」ではないのかと思います。

戦争映画で「激しい銃撃戦」と形容されるバトルシーンに一発の銃弾も飛び交っていなければ、それは映像的に「リアリティがない」のだし、現実には存在し得ないデザインの宇宙船でも、途轍もない巨大感でもって空に浮かんでいれば、文句ナシに「リアリティがある」のだと感じるはずです。ほとんどの映画において、背景描写や理由の提示は、こうした映像の迫真性を強化する上で大いに役立ってくれますが、映像それ自体に、充分過ぎるほどの説得力が生じているSF映画の場合、これらの要素が、かえって作品の世界観を陳腐なものに格下げする足枷ともなってしまうのです。カメラを回したのは脚本家で、撮影を敢行した場所は監督の家という、ほとんど自主制作同然かつ低予算での、所謂ノリで撮られた『スカイライン』は、『宇宙戦争』や『ID4』『クローバーフィールド』といった大作を連想させつつ、何処まで行ってもB級映画の範疇を出ない作品でありましたが、作り手がこうしたツボを押さえた上で、製作に臨んでいたのが感じられたところには、強い好感を抱きました。

1000万ドルという低予算の制約の中で、ビッグ・バジェット映画と同じ壮大さを感じさせようとすれば、色々と無理も生じようというものですが、そこをあくまでも巨大な宇宙船が空に浮かんでいるという「絵」一枚でクリアしようとした強引さは、これを映画的と呼ばず、何と呼ぶのか?と言いたくなるくらいの、清々しさをも伴っていたように思えたのです。

巨大な宇宙怪獣や、飛散するミサイル、宇宙船による人間の「お掃除」というハイクオリティな特撮表現のみに特化し、物語のディティールを潔くスッパリと切り捨てたことが、かえって正体不明の宇宙人の恐怖を煽っており、一貫性のないキャラクターの言動が、むしろ理解不能な喧騒の中に置かれた人間のパニック描写として、リアルに映っているかと思います。室内・屋上・パーキングと場所を移動しながら、状況に応じたサスペンスを盛り込んでくる展開は、ロー・バジェットの枠の中で可能な限り、見せ場をてんこ盛りにしようとする製作陣の意向にハマっており、主人公の視点からエイリアンの侵攻を描く手法と相俟って、それなりにハラハラさせられてしまいました。

情報の断絶は、彼らの様相が世界各地で同時進行している殺戮劇の縮図であることを端的に伝えており、その描写の一つ一つにイチイチ「お前ら全員バカばっかだろ!!!」とか突っ込みたくなった反面、閉鎖空間を舞台としながら「外」の世界の広がりを意識させようとする巧妙な作風には、「意外にも基礎のシッカリした作品なのだな」と感心させられることの方が多かったと思います。なんだかんだと言いながら、あらゆる点で説明責任を放棄しているのは否定できませんし、その極北に達したかの如きラストシーンに呆然とする観客が多数存在するのは間違いありません。連載途中で、作品そのもののジャンルを変更した結果、そのムチャクチャぶりが読者からの反感を買って、打ち切られてしまった少年漫画のような唐突さで、これには流石に口をアングリと開けたまま、ホビージャパンのジオラマを思わせる、止め絵をフィーチャーしたエンドロールが流れる間、アホ面を晒し続けてしまったのですが、同時に作り手から「ストーリーなんかなくたって充分面白かったろうが!」と言われているようでもあり、不思議と奇妙な痛快さを感じてしまったものでした。

物語性を偏重する昨今の映画業界に対するアンチテーゼと言ったら、褒め過ぎだろうし、おそらく製作者たちはそんなこと微塵も考えていないと思いますが、ここだけを大きく取り上げて、この映画を駄作と片付けてしまうのは、少々勿体無いと思います。その一方、『エンジェル・ウォーズ』あたりと同様に、本作を映画として評価するかしないかで、鑑賞者としての在り方が問われるといった類の議論も交わされているようでしたが、実のところ、そこまで大袈裟に論じなければいけない作品だとも思えず、観た方が面白いと感じたんなら、それでいいのでは?という思考放棄のような結論しか出てこない、というのが本音であります。要するに、それくらいのスタンスで観た方が楽しめる映画ということです。

所詮、B級映画ならB級映画なりに難しく考えず観ていれば、そこそこは楽しめるはずです。あえて厳しいことを言ってしまうと、予算の上限など諸々のハンディが存在する中、作る側が無理を承知で、あえて映像表現に重きを置くことを選択したのだから、この点に対して行われる批判だけは、多少なりとも妥当性を有していると思います。安定感抜群の空撮映像に比べて、終始不安定に揺れ続ける人間パートのカメラワークは、脚本家が撮ったといっても、もう少し上手くできなかったのだろうかと言いたくなるフラフラ具合で、肝心のエイリアン襲撃シーンに入ったと思ったら、何が映っているのか良く分からない(あえてそうしているのかもしれませんが)ショットも多数見受けられるという始末でありました。

CG表現における重量感の欠如は仕方ないにしても、この部分だけは改善しておけば、作品全体が相当ウェルメイドな印象になったと思うのですが、プロのカメラマンを連れてくるとなれば、結局はお金の絡む話になってしまうので、これも納得せざるを得ないのかなぁ、などと堂々巡りの思考に陥ったりもします。

よって、ハッキリと感じた不満点を一つだけを挙げておきますが、これはもう公開前のポスターなどで散々告知されていた「巨大なマザーシップが大量の人間を吸い込む」というショッキングなビジュアルが、あまり出てこなかったという一点に尽きると思います。鑑賞後、もはや使い古され、ギャグとしてテンプレにもならない名言を叫ぶことができる、という期待は見事に裏切られてしまったので、ここでその一言を雄叫ぶことによって、個人的な無念を晴らし、本作の感想は終わりとしたいと思います。